手を離れ、形を変えて舞い戻る
うすいアイスティーのまずにいられない。
夜だからカフェイン少なく。
アールグレイの香りは弱まってしまうがそれでいい。
いまの町に越してきて6年半、
一度も使わずにいたディフューザーに水を入れ、
エッセンシャルオイルを垂らしてスイッチを入れた。
雨上がりの森の匂い。
すこし前に繰り返し観ていた
かぐや姫の子供時代の情景を思い出す。
鳥、むし、けもの、草、木、花
咲き、実り、散る
生まれ、育まれ そして死んでも
また順繰りに生まれくるのだ と
わらべは歌う、深く意味を考えずに。
エンディングのリフレインは、
もっと心が安らいだ時にフルコーラスを聴く。
今は真正面から受け止めてしまいそうなので。
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いまのすべては
過去のすべてである。
わたしたちは また会える
懐かしい場所で。
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こわがりな拙は、
友たちに助けを求めた。
忍耐や出費や別れが続くたいへんな時期なのに、
わがまま放題に生きていやがった女のために
時間をさいて耳を傾けてくれた。
少しでも役に立つなら、と
人としていささか歪な女に、優しくしてくれる。
徐々に縁が薄くなっていた界隈の方とも、
思いがけぬ形で、支えていただいた。
拙がかつて種を蒔いたものが芽吹き枝をのばし、
小さな実りになって手のひらに集まってる。
執刀する医師も施設さえもまだ決まっていない。
明朝早く、セカンドオピニオンの申し込みに向かうが、
いつ話を聞いてもらえるかはわからない。
瞬間で決断すべきことと、
延々と順番待ちすること。
この両方を、不安定ながらもこなしてる。
もうそれほど残りの時間はないが、
急かされるほど、動きが鈍くなる。
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これからお前は人間として生きるのだ、と
いきなり生まれ落ちた赤子のようだ。
ただ泣いて排泄する時期を超えてから訪れる、
突然訪れる「人間にならねば」と観念する日。
早くその刻が訪れてくれないだろうか。
人生レコーダーをちょっとだけ早送りして欲しい。
そんな心境で、週末を過ごした。
土曜日に告げられたこと。
のまずにいられない癖が遺伝子を傷つけてしまったのならもうあまり馬鹿みたいに飲むことはできないのだろう冗談でもなんでもなく生命がかかっているのだから。
息をのまずにいられない。重くて開けにくい横開きの扉をこじあけると見える診察室、丸椅子、ライトボード、笑うナースと医師。
がん告知を受けました。
右側乳がん。サブタイプはルミナルB、ステージはあまりあてにならないけど今のところ1、メスを入れることは決定。残すか、残さないか。それと自分に無意味な化学療法を選択から省くために必要な保険適用外主要検査をするかどうか。あと6日で決めなければならない。
年明け、どうしようもなく体が重く起き上がれない日が続いた。ついに来たかと婦人科でエストロゲン検査を受けた。
「更年期ですね」
ホルモン投与を受け始めたがあまり効果が上がらない。そんな中、ホルモン投与でリスクが上がるという乳がん検診を超音波エコーにて受けた。
「2つ、疑わしいものがあります。この様子だと悪性かもしれません」
その場で紹介状を渡され、自分でその都立総合病院に予約を入れた。ただ、頭が事実を把握しておらず動揺のあまり直後に手帳を紛失し、眼鏡を落とした。その日の夜はデパスを使って強制的に睡眠をとった。
6月末、多摩総合医療センターで精密検査マンモトーム、超音波下針生検。がん確認。翌週、造影剤MRIで乳輪下に3つめの腫瘤疑発見。細胞診と針生検。
そして2日前、土曜日。細胞診ではクロ、針生検ではシロ。源病巣からの派生かもしれないとのこと。部分切除、或いは全摘と再建、どちらかを決めてくださいと、熱くもなく冷たくもないトーンで主治医が言う。
調べすぎるのはやめようと思っていたが調べ蓄えてしまっていた知識を掘り出して散らかしながら聞く。きちんと答えてくれる。ただ、なぜ転移がないと現時点で言えるのか、それは腫瘤がたいへん小さいから、という根拠に疑問を持つ。開けてみないと正確なところはわからないという。
拙は、おおむね納得したが聖路加病院でセカンドオピニオンを受けさせてほしい旨を伝えた。今週末までに書類を揃えてくれるようだ。
いま、いつもの通勤電車に乗ってこの日記を書いている。病気についての本や療養ノートでかさばるトートを抱え、杖を持ってヨタヨタと。
会社に着いたら高額医療限度額申請書を提出し、聖路加に連絡を入れる。
まさにこれは、終わりの始まりだ。
本日16時過ぎ公表されたこと
きょう朝イチで一号館大ホールに夕方来いと本社社員が呼ばれた理由は拙の人生では何度かあったものだったがこれだけ大きな老舗母体を持つ覚えられやすい社名のウチがよりにもやってこのタイミングで!
水ガブガブのまずにいられない。いや予感は何年も前からあったけどいきなりきたかと大写しされてるパワポみながらどんどん体が冷えてった。
まあ、つまり会社を今年度末つまり2018ねん3月で解散するという通達だった。設立以来一度も黒字を出せなかった我が社。会社の生命はだいたい10年だと俗に言われてるが、9年もったのは親会社のネームバリューがあったからだ。
それにしても、なぜ今日なんだよ。忘れてる人が大部分だろうけど、きょうはプレミアムフライデーなんだぜ?
壁の外に出たらそこは自由なんてなく更なる地獄だった、ってのは進撃の巨人だな。
東京は暑苦しい。
ご無沙汰してます。
こゆき、もとい結希いずみです。
東京は毎日暑いです。
そちらの気候はどうですか?
しばらく非公開にしてた日記を
再開しようと思ってます。
理由は、知ってる方もいるし
全然見当もつかない、
どーせいつもの気まぐれだべ?
と嗤う方もいるだろうな。
うん。理由はあります。
それはいずれ。多分今週末にでも。
それではまた。
回復状況
正月に帰省した時、妹にみてもらったところ「まだ発疹跡のシミはちょっとばかし残ってるよ」と言われた(愕然)。額の割れ傷はまだ残っている。折った肋骨は慢性的にシクシク痛む。10分歩くと骨盤が疲れて動かなくなる。一度落ちた体力を取り戻すのって大変だ。
ただし、気力はじゅうぶんに持ち直してる。普段は処方薬なしでも何とか頑張れる。ここ1年のログを読むと、ひどい病みっぷりに己ながら驚く。あんときゃ普通に平常心フィルタをかけて言ってたと思っていた。思い込みって自己防衛本能なんだなと、今ならわかる。
幸いなことに、心身のコントロールには習熟しつつある。そりゃムカッとすること落ち込むことは消えない。それを維持できているのは「他人と話す」という最大のセイフティを有難いと感じてるからだ。
引きこもって体調回復に努めて半年後、鏡の前には老婆がいた。よく眠ってるはずなのに頬はたるみ目の下は濃ゆいクマ。ひたすらスマイルを心がけ、可能だったらできるだけ同僚と話をして半年。少しずつ、すこーしずつだが、頬や目の下の弛みがちょっと良くなってて表情も元に戻りつつある。やはりコミュニケーションって人間の精神面にはとっても大事、と同時に顔年齢にも著しく響くってことが、よーーーーーーーーーーーくわかった。
いま、プチプライスの中から、リフトアップクリームとハイライトラメとマスカラ下地と化粧下地を買ってきている。きれいなお姉さんが正義なら、大人かわいいオバチャンだって正義。はしゃがず落ち着いて粛々と、今年は女ヂカラを磨いていこうと思っている。
あ、もちろん音楽と文学は大事。さぼる事はあってもリタイアはしていません。有名人としてサインを書くことが人生の目標です!(言い切ったwww)