決められた世界線上をただ生きた或る女

無理のない程度、楽しく思える程度に何かをする。これが幸せと感じる人もいるでしょう。MAXまで努力してもまだ楽しいと思えるなら、幸せをたくさん感じる素質があるんだと思う。で、ここまで頑張ったからこれ以上は良いかな、と思える。先述の山下達郎氏の「幸せ」と一緒って考えて良いと思います。

真逆の位置にあるのが「いつも無理してしまう」「楽しいと感じられないことが多い」「でも、せずにいられない」人。まるで私自身を言い表した言葉ですね。これを不幸、とみる人もいるでしょう。でも私は一概に不幸だと思いません。


モーパッサン女の一生」は、甲斐性なしのくせに吝嗇家(ケチ)な夫に裏切られ子供には騙され、踏んだり蹴ったりな女性の話です。学生の頃、この(けっこう長い)小説を読んだ時は何て愚かな女、なんて「不幸なんだろう」と感じたのですが、本人的にはそうでもないのかも。

主人公のジャンヌさんは、「悲運」を嘆き悲しむことはあっても「不幸な一生だ」とは言っていない。幸か不幸かを決めるのは第三者であって、自分ではない。自分が不幸だと思わない限り、その人は不幸じゃない。