奴のシャツ

For Beautiful Human Life

For Beautiful Human Life

キリンジのアルバムに収録された曲。



親父が死んだ。
遺産があるから慌てなくても何とか凌げるだろうと世離れした男はのんびり。

周囲は彼をボタンを掛け違えたまま大人になった奴だと揶揄する。
子供には鼻で笑われ、親戚には嘆かれる。「お前には深刻さが足りない」と。
そんなことはわかっている。
グラスに映る、ボタンを掛け違えた俺はうそぶく。
「これは俺だけのシャツの着こなしだ」

そんな曲。

或る友人がネットで書いている日記から本人の生活や立ち居振る舞いの記録を読むにつけ、拙の頭の中ではこの曲が浮かんでしまう。できるだけスルーしようとしているのだが、どうしても気になってしまう。その人と拙がもつ幾つかの性格的共通点が、そうさせているのかもしれない。


他人事なんだから適当にあしらっていればいいのは分かっている。実際皆、いいところの上澄みだけで楽しんでいる。いいところの上澄みを自分の脳内イリュージョンでつくりあげる人(たとえば自分が“愛されるべきいい人”でいられるような確信犯)までいる。拙はそれがうまくできない。だからクローズド・コミュニケーションが苦手なんだ。

でも思う。「あなた」には深刻さが足りない。したいことをするけど注目されないと悲しいと喋る感じ、気ままがいいといいつつ周囲に声をかけられるのを待つ感じ、箱庭より狭いそこに借りをつくってまで依存している状況じゃないだろう? と言ったところで、相手は馬耳東風。

つくづく拙は、チャットやボイスが好きなくせに、いくらやってもうまく使えない。消耗してしまう。