かたくなな背骨でもいい

本も出るほど人気らしい某ブログで「ずっとやりたかったことを、やりなさい。」という本を購入し、12週間のセオリーを実行しはじめた、と書いてあったのでミーハー拙も借りてみた。読んでみた。そして、昨日から“モーニングページ”という縛りを実行している。毎日少し早く起き、ノート3ページに“とりとめのないこと”を書きつつ、その中に毎週課せられるトレーニング項目を織り交ぜるというもの。ブログもあり、掌編サイトもありながらも、それらすべて更新滞っている不甲斐ない拙に、明日書く気力があるかどうか自信がもてない。


ただ、去年拙は似たようなことを、自己流でやっていた。ボリュームたっぷりの文庫本サイズ「ほぼ日手帳」に、食べたもの、読んだもの、思いついたこと、すべての記録を記していた。いまの町に引っ越してくるまでそれは血液型B型の拙らしからぬ精密さで続けていたのだった。


単なる覚書の蓄積だったのだが、大事なものを突然うしなった絶望から、不完全ではあるが立ち直る過程がハッキリとわかる物語となっていた。もちろん、倹約に役立ったという実利的なことも大いにあったけど。


モーニングページ、とりあえず1週間は続けてみようと思う。書くことは拙のカタルシスだということは間違いないのだが、その反動で鬱に襲われてしまうこともあるし、体が追いついていかないほどに気合が満ちることもあって、なかなかに調教しづらいのが少々、つらい。それでも、せずにはいられない。


いまアタシにに投げかけられる言葉や固定観念は、必ずしもアタシの本意と一致するとはいえない。むしろ「そうじゃなくて!」と叫びたくなることが多いほどだが、オノレは今、所詮その程度のものなのだと自戒すべきなんだ。プライドについていかないもの、それを的確に言い当てられる情けなさ。自分で動いて「そんなの違う」と提示しない限り、それは続くんだ。やんなきゃ、わかってもらえないんだ。


・・・という風に。吐露のあとの自己認識ができるかどうかが、覚悟の違いになる。覚悟は其人の背骨になる。
あたしは、まっすぐに強い背骨が欲しい。できるだけ早く。