この僕の、傍にいるかい?

いま住んでいる町は、とても広くて、
電車に乗って真ん中の町に行かなくっても大抵のものが手に入る。
電球ひとつ、チューハイ1本から、パソコン、ピアノ、ソファ、車や家まで。
何でもここには揃っているんだ。


恋愛だってそこいらへんにゴロンゴロンと転がっていて、
イミテーションだったら繁華街の入り口で暑苦しいタイを結んだ男に導かれたら
求めて5分後には腕ん中に転がり込んでくる。


ほんとうの触れ合いが欲しくなっても大丈夫。
ぼくらはそれを、川原でお気に入りの色した小石を選ぶように、
あるいは海で砂を搔いて無傷できれいな貝殻を探すように、
無防備な心で、この町では手に入れることができるんだ。


なんでもある。完全無欠の碁盤目カントリィ。


でもぼくには、なぁんにもない。
ここにいても、欲しいもんが、なぁんにもない。
持ち物はどんどん減っていく。
知り合いは増えたけど、お金を遣って会いに行かないと、
サイクルの早いそこらでは、みるみるうちに“あの人は今”状態だろう。


生きている意味を探してここにたどり着いた。
まわりがぼくを“必要としてくれる”ことを望んでいた。
それ、あまねく、通用するわけもなく。


なにをみても、なにをみても、泣いてしまう。


しあわせそうな年若いカップル。てをつなぐ老夫婦。
ペットショップで無邪気に尻尾を振る子犬。
真新しい季節先取りの洋服、ウインドウから見える磨かれたグランドピアノ、
ソフトクリームをなめながら歩く小学生、思いつめた表情の若い男子、
道路でつっぷす酔っ払い、暑苦しい呼び込みのつく深い溜め息、
せまっ苦しい飲み屋でボートを漕ぐ男、迷走する私論で首を絞める酔った女、
息を詰めて終電の改札を抜けるシラフのワーキングマン
悦に入る街角ミュージシャン、絶望をにじませたオーディエンス、
ご用の折にはこのベルを、とフリップを立てた交番の机。


すべてが、ぼくと違う世界にいる。
ぼくだけが、ここに、ない。