自分の感受性ぐらい自分で責任もつサ

「君に逢えていい人生だった」

そんな風にカラリと言える洒落者とは、たぶん一生相容れないかもしれない。肌に合わないミュージカルに思い入れするように。ワイワイと楽しげに集う同趣味のパティオで全てのメンバーに「こんにちは」と「さようなら」を欠かさずに挨拶するように。愛していなくてもアイシテル(んだきっと)と只の執着に過ぎないイズムを隠して言い聞かせるように。


若くして世を去ったウインドサーファーの美談が桑田佳祐の主題歌で映画化される。家族思いの人々やハンディキャップのコンプレックスを克服した育ちのよい方々の逸話が24時間黄色く伝えられる。実妹の赤ん坊が笑ったぐずったベンピだなどと一喜一憂している。それらはことごとく、ただの情報として通過していく。


楽しくない。感動もしない。泣きもしない。辛うじて深夜に寝不足でハイになった芸人たちの生々しい喋りだけが拙の心を少しだけつかむ。生身の「音」は、そこにしか感じられない。


灼熱午後の日曜日、これからビールを1本だけ買いにいく。昨日は暴力的な刺激物がほしくてマジックスパイスを虚空の高みで味わった。今日だって、相変わらずざわめいて仕方ないけど、明日からの仕事を考えて控えることにする。

うそくさい。本当のできごとなのに、この世がことごとく、うそくさい。感動とか涙とかを人任せにすることが、うそくさい。影響されてしまう多くのひとたちが、ごめん、うそくさい。