ライ麦パンにジャムを盛り

izumi_yu_ki2007-05-11

思うに。

自分の感情を満足させるためにだけ動いていられる人は、それはそれでひとつの才能なのかもしれない。人の顔色を伺いながら臆病に生きるよりは遥かに人生を謳歌していると思える。そんなパッショナブルな人たちに、あえてまみえたいと思っている人もいるだろう。


したいからしたい。愛してるから愛されたい。気持ちが強ければ強いだけ対象に向けられるベクトルは大きい。自分ひとりで楽しむことであれば構わない。また相手が了解しているなら問題ないだろう。でも、しかし、相対するつもりのない人にとっちゃ、こっち向きで無理やりマスターベーション見せられているようなもので気色が悪いだけの代物に過ぎない。


自分が相手にどんなことをしているか、自分がどう生きているか。他人との比較ではなく、客観的な目でひとつずつ見直す時期だと思っているが、それはなかなかにむずかしい。


「相変わらずだね、というのは誉め言葉ではないぞ」と、年下の男の子につい説教してしまった月曜のPM。そんな夜でもチクテカフェのマフィンはおいしく、ミケネコ舎のコーヒーはすこぶる上等だ。これらの相変わらずは、誉め言葉。姉さん風をふかしたせいでちょい元気のない翌朝は、ラ・フーガスのライ麦パンをカリカリにトーストして、ブルーベリージャムをたっぷりのせてそっと頬張る。


相変わらずうまい。が、フーガスはもうじき店を閉じてしまうのだ。ひとつの定点が幻になってしまうまで、あと2週間あまり。


しみじみと美味を食む。相変わらずが相変わらずでなくなる日は、必ずおとずれる。