社会科の成績は平均的だったけど

多くのサラリーマンや学生が休みを取っているであろう今年の8月15日は個人ブログもニュースサイトも2ちゃんねるもボクサー紛糾にちょうど飽きたところだし見事なほどに国民の心をガシガシ逆撫でしたライオン確信犯の話題で持ちきりかもしれず面白えけどちと恐い。


これがのまずにいられるか。


自分の意見を述べるために、立派に代弁された他人の言葉をリンクするのは簡単なのだが、あいにく拙はそれがうまく使えず、自分の意見そのものまで人の言葉になってしまいそう。だから引用せず、ほかの方のブログにそれはお任せする。そして拙は拝読させていただこう。


ネット情報がこれだけ発達したのは、ここ5年ぐらいだと思う。以前は、ちょっとした疑問を検索しても上手に引っかからないし、あるのはガラクタ然とした素人情報だった。それが今は従来メディアより早く、ときには正確に、たくさんの情報が引き出せるようになった。願わくばこのままいい面だけが自浄作用を繰り返しながら伸びていってほしい。ネットまで情報操作されちゃかなわん。また感情的かつ不正確な情報ばっかりあってもネットが濁るばかりだ。


政治というジャンルは戦後の伝統的にブラックボックス化している。あまりの不可解加減に、一般の者たちにはいい匂いのする和室や、とんでもなく高いところにある大きなラウンジで醸されるものだとカリカチュアライズされている。平地の空気に触れないもんだから俗世とのズレはなはだしく、一般から敬遠され、さらにかけ離れていく。だからこそ策略の息かからぬ大勢の知識や意見を共有できるネットはいい勉強材料だ。


情報に真実を求めない人はいないだろう。都合のいいところばかりチョイスして臭いものを隠すのは卑怯だ。できる限り知りたい。靖国神社に軍国時代の日本を展示した「遊就館」について知りたい。そこにはXJAPANの曲が流れているというじゃないか(おや?)。ライオンの愛弟子・安部晋三が大学講演で「日本も小型であれば原子爆弾保有することに何も問題はない」と言ったことについて真偽を知りたい。それらは普通にだらっと日常を生活しているだけでは引っかからなかった事柄だ。恥ずかしながら。


しかし記事という「情報」があるだけでは、もちろんいけない。わたしの祖母は戦争を知っていたが田舎育ち。父と母は横浜だったが疎開児童、叔父や叔母は戦後生まれ。問題意識があったとしても、いかんせん実感が薄い。人間が人間に殺されるということに、最近のわたしたちはあまりにも実感が薄すぎる。


靖国に行こうと思う。そして広島にも行ってみたいと思う。日本人として生まれた意味を、自分に問うていきたい。ただし、できれば、卑屈にならずに。