やるだけやったと思うのは大人だけじゃないのか

「全腸管壁内神経細胞未熟症」のため海外で5つの臓器移植を受けた神達彩花ちゃんが亡くなったという。(http://save-ayaka.com/
テレビやネットをはじめ渡航・手術・術後処置費用を集める運動が大々的に取り上げられ、2億円もの募金が集まり、手術。しかし敗血症のため命は召された。たいへん残念だと思う。

この件を考える時、ひとつ疑問に思うことがある。それは「乳幼児である彼女に複数の臓器移植手術は最善だったのか?」ということだ。成人した大人でさえ手術は体への負担がとても大きい。少し古いがアナウンサーの逸見政孝氏の癌切除手術は、負担が大きすぎて逆に命を短くしたのでは、という議論が持ち上がったこともある。今回は赤ちゃんの開腹手術、しかも5つもの臓器入れ換え。成功例もあるだろうがリスクの大きさは素人からみても明らかだ。

拙は幼児期に全身麻酔で2回、連続して手術を受けたことがある。疾患は整形外科系であり、命に別状ある箇所ではなかったが、各々全身麻酔で数時間を要した。子供への麻酔リスク、メスで切ることのリスク、術後の耐性。その説明を受けた上で両親が決断した。

当時のことは、わずかだが記憶に残っている。麻酔のかかり始めの気持ち悪さ、術後の痛み。まだ言葉を覚えていなくても、痛く、苦しく、つらいことはちゃんと知覚しているものだ。しかし退院後はほとんど痛まず、普通の生活を現在まで送ることができている。幸運なことだ。

彩花ちゃんは生まれてからずっと、気分のよい時がなかったのではないかと察する。アメリカでの最後の手術のあと、ほんの一瞬でも快適な時間を過ごせたのだろうか? それとも拒絶反応との戦いで、相変わらず具合が悪いままだったのだろうか? 気にかかる。わずかでも快適な時間が得られたならよいのだが。

だとしても、幼児への多臓器移植手術を諸手あげて賛成することは、現時点ではしづらい。ジャクソン病院の信頼性や、他の道−−−つまり患者本人と家族・およびドナーとドナー家族が幸福な人生を送るために考え、議論すべきだ。せっかくの、命を大事にする気持ちが、単純ベクトル的に募金運動にのみ流れるのは危険ではないだろうか?「やるだけやった」とカタルシスを得るのは本人以外の大人だけかもしれないとつい考えてしまう。