くどい年寄りの孤独を痛いほど知る:骨折28日目

あのねぇ昨日からもう腰が痛くて痛くて寝られないんですよ娘もたまに気にして子供つれて家に泊まってくれますけど普段はもう一人でしょうもう夜中になーんども起きちゃってトイレもねえ途中まで暗いでしょういつ転んじゃうか心配で心配でそれでねと際限なく続きそうな老人患者の愚痴をハイハイと聞き流す看護婦がその場では気の毒だったが。

ネスカフェボトルのまずにいられない。

冷たい飲み物が恋しくなったので、久しぶりに飲んでみようかと思う。あとで。

今日も雨。したがって欠勤。全然体を動かさないので、昼になっても腹が減らない。トマトにマヨネーズかけて食べるぐらいでいいや。

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先日受けたフリーの仕事の請求書を、急いで送らなければならない。普段であれば通勤途中にでもポストに投函すればいいが、雨つづきで外に出られないこの状況。でも〆日は待ってくれない。どうしようか。

思わず最寄りの局に電話しようと思ったが、これは地区ごとの「集配局」に連絡するのが正しかろう、と、HPを探って世田谷郵便局に連絡を入れてみた。

「あの、速達を出したいんですけど、ポストまで歩いていけないんです。どうしたらいいですか?」
すると住所と名前を聞かれ、その地区の集配担当者から折り返しの連絡がきた。
「●時から●時の間に集配に行きますので切手代を用意していてください」

おおっ。ありがたい。ほんとありがたい。民営化されたら、こういう融通は利かなくなるんだろうか。そうなったら辺鄙なところのお年寄りは困るだろうな、と思うと、いつかテレビで見た山間の村落に住む80歳過ぎたおばあさんの気持ちが身近に感じられた。便利だということももちろんだが、玄関のチャイムを鳴らし、人が訪れてくれることが、ことのほか嬉しく、つい待ちわびてしまうのだ。

それはさっき、拙の家に宅配便が届いた時に、はじめて感じた。健康な体を持ちながら、自分の意志で人に会わないというのなら、いくらでも耐えられるだろう。しかし、ままならない体を抱えていると、やけに人恋しくなる。見知らぬ人でもいい。顔を突き合わせ、ちょっと会話するだけで、心がやわらぐ。「大変そうですね」の一言がしみる。

数年前、老女が自らの生前葬を頼むという小さなストーリーをwebに載せたことがある。その時、もう孤独についてわかっていたつもりだったが、まだまだだったかもしれない。今、さらに一段階深く、その哀しみを理解できた気がする。