母がまだ若い頃、乳母車を引いて:骨折25日目

休日の朝も9時に電話が鳴り駅に着いたんだけどココからどうやって行くのと起こされ3度も説明した末に大汗かいてやって来た四捨五入すると70歳の母。

伊右衛門ティーバッグのまずにいられない。

熱々のお茶は美味い。そういえば久しく飲んでなかったなぁ。

小学校の給食員を長年やっていた勤勉な母は今でもキッチリと早起きだ。よもやそんな時間に来るとは思わなかったから、こっちは体勢が全然整わず、寝グセつきの髪に油っぽい顔のまま、ひとしきり母の小言を受け入れる。

照れと心配と会えた嬉しさが混じった微妙な空気が流れる。抱えてきた大きな荷物の中は、3個450円だったから買ったという梨とリンゴが1個ずつと、栗おこわ。そして、でっかいタッパに卵と手羽元の煮物をたっぷり。10時前にこれを食べろ食べろと言う。せかされながら口に放り込んだおこわと煮物は、まだほんのりと温かかった。

昨日の通院の話をしたら「あと2週間我慢すればいいんだから、無理してお風呂に入れることはない、このお風呂じゃ危ないし」と案じる。いま再骨折したら本当に立ち直れない。ちょうどネット注文した入浴用ギプスガードがあるから、それを使ってシャワーだけで済ますことにした。このガード、足入れ口のゴム輪が大きすぎ、入浴すると水が入ってしまいそうだったので使わずじまいだったが、こういう状況だしせっかく買ったし、ということで、「おかあさんがいるうちに浴びちゃいなさい、手伝うから、さあ」と促されるまま、午後の早い時間からシャワー。すべらないよう細心の注意を払って服を脱ぎ、ガードをかぶせ、湯を使う。片足立ちに疲れたら浴槽のフチに腰をおろし、浴槽外にも泡や湯を散らしながら存分に体を洗った。

後片付けは母が全部やってくれた。床を拭き、タオルを洗濯し、干す。「すまんですねぇ、こんな色々させちゃって」と謝ると、母が口をとがらせて「何言ってんの、いいんだよそのために来たんだから」と答える。あ、そうか、言った直後、ざわざわっと感動を覚えた。
「あ、これが『無償の愛』じゃん・・・」
何年も忘れていた親のありがたさ。無遠慮でいられる幸せ。

拙の足がギプスで覆われたのは、これが初めてではない。3歳頃まで、両足をカエルのように固定されたり、副木に包帯でぐるぐる巻きにされて乳母車で移動したり、長い間歩けない状態だった。その姿が不憫だと可哀想がられ、そのせいで母は周囲に責められていたらしいが、母はめげずに色々な病院医院治療院を必死に回ってくれたようだ。フルタイムで働き、治療費を捻出し、大きな病院で手術を受けたおかげで、拙はほとんどハンディキャップを残さず、今も東京で好きなように生きていられる。

(こんなワガママで親不孝な娘でゴメンヨ)
なんて殊勝なこと考えると、涙が出てきていけない。お母さんに笑われっちまうわ、こんにゃろ。足を治すことだけ今は考えよう。治るまでは、このさい子供らしく甘えてしまおう。

方向オンチで機械オンチの母に、最寄り駅までの地図を書き、おともだちの電話番号を携帯に登録した。こんなことしかできないよ、ごめんよ。