納豆は少しでいいのさ

izumi_yu_ki2005-09-27

うんしょと立ち上がり両腕に杖をもってサア青信号歩け歩けと狭い部屋を10歩進みユニットバスのドア前まで来たところで黄信号ソロソロと方向を90度変えながらカエルの笑顔みたいな形したものに目がけて腰を落とすが微妙に位置がずれたので直そうと片足で立ち上がろうとしたら固定された左足をドア下の段差にひっかけ後ろ向きによろけるワワワ赤信号赤信号赤信号でも止まらない。

ビタミンウォーターちょびっと飲まずにいられない。ふう。だからトイレにはなるべく行きたくないんだ。なるべく吸収のいいスポーツドリンクで喉を満たす。

自宅だが、まるで入院生活のようだ。朝早くに目がさめてしまうので、水戸黄門の再放送あたりでお腹が減ってくる。台所に向かい、片足で立ちながら飯を盛り、腰をかがめて冷蔵庫から納豆を取り出し、卵を割ってすべてを飯の上に乗せて混ぜる。

うっ、まずそう。納豆の匂い、いつもは大好きだが、ケガしてからは、ちょっと苦手。ごまかすために青のりをたっぷり振り入れ(不安定なんで床にぶちまけそうになった)たら、ちょっとおいしそうになった。

前方の本を積み上げた山に茶碗を乗せ、ちょっと杖で進んで立ち止まり、茶碗をとってまた少し前の山に乗せ、また杖で進み、を数回繰り返し、やっとベッド机まで運んできた。やれやれ。

納豆とご飯のバランスは慎重にとらないと。多すぎれば顔や器を汚し、まるで残飯のようになってしまう。かといって少なすぎても、あとに残された納豆臭いご飯とねばつく箸は、他のおかずを寄せ付けないから惨めだし。

ああ。しかしつくづく療養生活というのは空しい。文章書こうにも、足がむくんで痛むため、長いことマシンの前に座っていられない。本は沢山読めるが、どうしても読みやすい漫画に手がいってしまう。読みやすいものだから、体が思い切り「受動的」になってしまう。テレビをつけっぱなしの時もそうだが、自我が失せてしまう危機感を感じる。ラクばかりして、惰性で生き続ける、つまらない人間になりそうで、コワイヨー。

でも、こわいくせに「SWAN」全巻を現在、夢中になって読破中。あ、あと1週間ぐらい、お願い、怠慢生活をお許しください、カミサマ。