始末をする、ということ

izumi_yu_ki2005-07-13

切り口が黒くなりかけたキャベツと食べ残しの茹でアスパラと溶けそうなパプリカを特売の剥き海老と賞味期限4日前の卵でつないで香ばしく焼き上げるつもりが片栗多すぎモンジャ焼き状態に近くとてもオカズとは言えぬほどの景色。

ネスカフェのまずにいられない。空腹にコーヒーを飲むと、ちょっと空腹がまぎれるような気がする。なんせ今月は“昼休み電話当番”。メシにありつけるのは午後2時なんだもの。お腹の虫も騒ぐさ。

冷蔵庫でムダに冷えているものが多い。しなびかけた野菜なぞ、本当はサッパリと捨ててしまいたいのだが、昨晩は何となくそれが忍びなく、たまたま買ってきた冷凍の海老と合わせてなにか作ろうか、と考えた。

結果、きょうの昼は、なんとも中途半端なエビ野菜丼弁当に。食べられないほど不味くはないが、がっつくほど美味くもない。ゴマ油で炒めたので香りはよい。弁当箱へ平らにごはんをならし、上からかけると、うーん。地味というか微妙というか、あまりそそられない色と風景。

ええい、と野菜室から、これもだいぶしなびた人参のきれっぱしを取り出して千切りにし、炒めてから瓶詰めのほぐしタラコと混ぜて入れてみた。風景が少し良くなった。ついでに枝豆と梅干をあえて横に乗せ、防腐代わりに。

食べ物をきちんと“始末する”ということは、一人暮らしで残業の多い拙にはけっこう難儀。古びた匂いや食感がどうしても消せず、みすぼらしい味になってしまいがちでがっかりだ。佐藤初女さんのようになるには、まだまだ、まだまだ、修行が足らないな。

「クウネル」7号。名作。4号とともに、拙の生活のバイブル。
http://kunel.magazine.co.jp/issue/index.jsp?gosu=200405