言葉がやせ細ってきた結果として

izumi_yu_ki2005-06-02

話したい気持ちをぐっとこらえてまず相手の話を聞いてから一息おいて小さな声でぐっと少なめの量だけ返し相手はナニかしらと身を乗り出してきたらまた静かに短く意見を言うことを繰り返していければこっちのものというのが某ジャーナリストの説得テクニック。

豆乳のまずにいられない。気力体力の萎えた今こそイソフラボン。女ヂカラも荒れているような気もするし。

生春巻と豆乳とおにぎり。それとともに、雑誌「クロワッサン」を買って戻る。給料日直後だからか、ほとんどの人は外に出かけてしまっている。会社で、静かな昼ごはん。600kcalにも満たない、胃腸にも静かな食事。

+++
クロワッサンの特集は「きれいな日本語を使う」。自分では上手に使いこなしているつもりでも、実際はまったくもって下手クソ。かつての婦女子たちがごく普通に身に付けていた美しい言葉づかい、それを会得している人は、今や美輪明宏ぐらいじゃないだろうか。恥ずかしい。情けない。

いつもより神経を遣って言葉を選びつつ、複数の相手とじっくり話し合ったこの数日間。まだその作業は途中だけど、だんだんと問題の核が明らかになってきている。拙の会話力の低さも、いやというほど自覚した。

記事の中で高村薫が「言葉が『人を理解するため』ではなく『気分の共有』に使われることが多くなっており、本来言葉を使うきっかけとなるはずの意見を伝える意思は弱まり、気分を表す『好き』『嫌い』『うざい』などで終わっている。そんな状態でつながれている今の人間関係は短絡的で脆いものに思える」そして、わからないものを知りたいという知的欲求も薄くなっている、と続く。ああ、ここで昼時間が終わってしまった。見開き2ページの記事だが、じっくり読みたいと思う。今の自分には一言一句がしみてくる。