からだが欲しがるものは足りない栄養素なのだ
月曜日に豚肉入りキンピラ大量に作ったはいいが今週あまり出番がなく金曜日になってええい和風サンドイッチだとばかりにパンドカンパーニュに味付海苔とともに挟み込みいつもと違う出勤路を散歩がてらテクテク歩きつつグイと見上げた空はムラのないまっさお初夏の青。
DAKARA飲まずにいられない。グレープフルーツジュースを買いに会社下の酒屋に行ったが無かったので代わりのカラダバランス飲料。
体がカリウムを欲しがってるのがわかる。最近どうもむくみぎみ。塩分過多じゃないかと思う。いろんなもんギチギチに溜め込んでるから、ダイエットの効果があがらないんだよきっと。
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さまざまな問題をあるがまま受け容れ、流れに逆らわず、すねず、ひねずに生きることは、とてもむずかしい。「我」によっていらいらしたり、突発的感情によって状況をどんどん悪くさせていったり。
なにもない時にさえ持て余す自分の心の在り方だが、ひたすら真剣に探っていると、意外なところから手が伸び、ひょい、と教えてくれるものらしい。最近縁のできた知人が、私にこんなblogページを教えてくれた。
千日回峰とある阿闍梨の誕生
http://blog.main.jp/tkm/archives/000443.html
私の場合、迷いがある時には、ごく自然にそういうものが近づいてくるようだ。古本屋で偶然手にしたものも、余分な体や気持ちをそぎ落とす作業を記したドキュメントだった。
食う寝る坐る永平寺修行記
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4101231311/ref=ase_koharusweb-22/250-0180657-3654608
信仰がどうのこうの、というのではない。ただ、これらに登場する方々が迷路から抜け出した始終をお手本として知りたくなるのだ。
何度読んでも、その真理に近づいたとは思えないが、少しは前に進めそうだ。悲観したり安っぽく絶望したり投げ出したりするのは、時間だけでなくすべてにおいて贅沢すぎる行いだと心に留めておきたい。クヨクヨめそめそな性質は、急には変えられないにしても。
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それにしても、人とのつながりってすばらしい。ネット上の友人関係だって捨てたものじゃないね。