あれから

激流に呑み込まれ窒息していた拙に手を差し伸べる人たちがいた。新しい知り合いがたくさん増え、何人もの方々との縁が戻った。ご好意をたくさんいただいた。だから、


「あたしは愛されているぞー」と臆面もなく言葉を射精したくなる時もある。でも、やはりあたしはひとりだ。


いつだったか名前鑑定をした時に、家族運が薄く晩年は孤独とキッパリ断言されたことがあった。本当にそうなのかもしれない。むかし「一生ひとりだ。最後はちいさな窓ひとつしかない小さな部屋で猫の背中を撫でながら死んでいく」と書いたことがあった。なかば無意識に放った言葉に運命が諦め、リアルが引っ張られていく。


いやだ。ひとりはいやだ。カタワレがそばにいて欲しい。ぶじ三途の川を渡りきるまで手を握っていて欲しい。


殆どの人がもっているのに、あたしには手に入らない。いくら望んでも、いくら泣いても。