遠くない未来の銀河鉄道

私の慢性病は、命にかかわる種類のものではない。ただ、健康な骨格をもつ人より早く、歩けなくなるだけのことだ。病院に通って、必要な筋肉の衰えを防ぎ、通電で血行を促し、痛みを和らげることはできる。でも、どんな手を尽くしても、骨は壊れている。先日のレントゲンで、大腿骨の頭にできた大きな空洞を見た時、声を上げてしまったほどだ。もう少し経過は良いと思い込んでいたから。

先天性で、幼稚園にあがる前に両足の外側を大きく切り裂き、関節の延命措置をとった。その頃から体の運命を知っていたし、25歳で再発の宣言をされた頃、「自分の骨で一生歩けるかもしれないよ」と主治医に手術を勧められた時、1年迷った末、手術効果の可能性より、人工関節の技術開発に望みをかけて、見送った。

それから、痛んだり全然痛くなかったりする波を乗り切った。今、最後のTSUNAMIが目前に迫っている。今、複数の医師からセカンドオピニオンを受けている途中だが、撮影のポーズや診断方法は医師ごとに違いがあり、進行期でまだ筋力をつければ大丈夫、という方もいれば、骨は末期に近いけど、可動域の関係で、あなたは認定されないと思う、と言う方もいる。

他の医師に診断してもらうことは、まだ続けるつもりだ。いずれにしても結末は同じなのだ。それはわかっている。ただ、歩けなくなって、どうしてもお金が稼げなくなった時がこわい。税金が払えず、病院にも行けず、宿無しになって放り出されるかもしれないと思うのは、決して取り越し苦労じゃない。

チタンの骨を入れる大金を使った手術は、資産をもたない一人暮らしのフリーランスな私には、できても1回。社会的には失業状態の私には、それすらできないかもしれない。だから、障害の認定が今、どうしても欲しい。ほんの少しの税金面免除だけでも、今年の私にとっては、命綱なのだ。

生まれてからずっと痛みや不安を抱えてきたけど、ちゃんと生きてきた国民を、少しは護ってクレナイカ

お酒の味は、3月の嵐にまぎれて忘れてしまいました。