マシンガンのハナっ先に一輪の純情


週末の朝、ついうっかり、びんを間違えて古いオーデコロンを襟元に吹きかけてしまった。外へ出てから気づいた、むせかえるほど安っぽい匂い。下品なものほど染み付きやすいものだ。そのあと陰干ししてみたり、アツアツのシャワーを浴びたりしてみたが、貧乏くさい芯がどうしても消えない。夕刻になったら頭痛まで催してきた。

匂いはヴィジュアルより攻撃的だ。目はつむることができる。耳も低反発の耳栓をすれば凌ぐことができる。が、鼻はどうやっても閉じることができない。無理にクリッピングしたら口呼吸で喉が乾いてたまらない。まったく、好きなものだけ吟味しなきゃぁなぁと、レレレな気分。あれから3日が経ったけど、まだ匂いの芯が抜けない。ほうほうのてい。


人間と人間との相性において、匂いって重要だ。要はフェロモン的“割れ鍋に綴じ蓋”理論なんだと思うが、自分にない香りをまとうひとには知的理由なく惹かれてしまう。たとえば、拙は煙草を嗜めない体質なので、喫煙場や喫煙席には、しばしばいたたまれなくなる。が、誰かが通り過ぎたあとの風に、ほのかなニコチンやタールの匂いが漂うと、思わず振り返ってしまうほど感応する。


自分が使ったことのないシャンプーの香りと煙草の香りと、それからわずかな汗ばみの気配。学生時代から抱いている「メガネ」「黒髪」「サラサラ前髪」などの「トキメキ・キーワード」はビジュアル的なことのほうが多かったが、今は違う。そのひとの醸す香りになによりも惚れる、かもしれない。だからこそ、自分の香りにも最近敏感になってしまった。そんなおかげで、毎晩毎朝シャワーに使うガス代と水道代と、みんなが使うフレグランスが気になって仕方ない。これは乙女的進化なのだろうか、たんなる無駄遣いか。


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香りと影の作詞はキリンジ“兄樹”・堀込高樹。歌はもちろん弟・(馬の骨)泰行。なんでこんなふうに毎日のように取り上げているかといえば、彼らのデビウ10周年イベントに呼応して、「ありったけの愛を」ささげているのです。新曲メガシングル発売まであとわずか。店頭で買うつもりの、わたくし。