叱られることの有難さ

15歳年上の友人がいる。彼とは、出会った直後にすこしだけの恋人時代を過ごした。それを解消してもうどれぐらいになるだろう。今はもう、恋人だった頃の彼の年齢を拙がこえてしまった。それぐらいの、長い仲。

拙というイビツな出来の女を理解し許し、励まし、そして本当に叱ってくれるオトナは、もはや唯一かもしれない。


その彼に昨晩おそく、電話で叱られた。
「おまえ、いい加減に自分の立ち位置を認めろよ」

若い後輩に若い飲み友達。かれらと同じ場所にいても、そこで一緒にダンスは踊れない。多数の同世代は、ぜんぜん別のフィールドで、自分が選んだ他人と人生のダンスを踊っている。

拙が(とりあえず)選んでいるソロ・ワークのひとびとは、他人の踊り場なんか気にならない。ひとりきりで壇にあがってスポットを浴びているのに、拙は周囲が気になってオーディエンスにサービスができない。往生際の悪いまんま、じわじわと朽ちている。

そこを叱られた。なぁにやってんだ、と。


情けなくてベソかいて「だって」を連発しつつ説明してみるのだけど、出てくる言葉は「一般的」とか「常識」とか「普通は。。。」なんていう、自分のものじゃない価値観で勝手に縛りつけようとするナンセンスな言い訳ばかり。吐けば吐くほど、おばかさんっぷりに笑えてくる。それを「だろ?」と受けつつ、客観的な意見と愛情を適当に混ぜた、決して美しくはないけど今の心に必要な言葉を与えてくれる。


深夜の連絡を詫びつつ受話器をおいてからFMと涙をながしっぱなしでベッドに横たわったら眠っていた。気づけば、窓の外は晴天ではないけど十分に明るい朝が起き上がっていた。


週末は久しぶりに、文章を書こう。んで、自分とたっぷり向き合ってみるさ。