ぼくは死にまっしぇん。

福岡の中学生自殺事件問題が長引いており、例によって例のごとく2ちゃんねるで祭りになり、電話などの抗議・嫌がらせが続いているらしい。学校のマスコミ対応がすこぶる悪く、苦笑しちゃうほどおバカさんな言動をするもんで、ニュース屋にとっては話題にこと欠かず、さぞホクホクだろう(不謹慎)。


でもこの話題、あんまり気持ちのいいものじゃないね。どっちかといえば「いじめられっ子」だった拙としては、自分を投影しちゃうから苦しくってしかたない。あれはあらゆる人々が少しずつ悪い。ただ町じたいの機能が悪いわけじゃないと思う。げんにあの町や学校で、そつなく楽しんでいる人々も多いだろう。でもそれらは当たり障りなく“うまくやりすごす”ことで維持されている平和なのかもしれないと思う。


地味で陰湿なイジメを延々と受けることは、本人にとって理不尽でとてつもなく辛い。でも、町の大人たちがそのいじめられっ子の人格を包容すれば、その本人がちゃんと乗り越えられるものだとも思う。推測にすぎないが、今回の事件は町の大人たちの付き合い慣習から引き起こされた悲劇のような気がする。関心がちょっとでも少年のほうを向いていれば。


孤独にさえならなければ子供は死なない。げんに拙は死ななかったよ。