壊れた家族とお刺身

槇村さとるの「イマジンノート」を引っぱり出して久しぶりに読む。学生の頃から「別マ」派だった拙の、今でも気になる作家さんの一人で、自分の受けた幼児虐待のトラウマや両親の離婚により母親不在で育った屈折感と向き合い、克服した半生。

印象的なシーンがひとつ。ある日、槇村氏の家族が数十年ぶりに再会し、一晩過ごした翌朝、槇村氏が皆に朝食を作ってあげようと台所に向かったら、そこに家族全員揃っていたという。皆がそれぞれに同じいたわりの気持ちを持って台所に集まった情景を想像すると、成熟した家族とは実にしみじみと良いものだな、と思う。

拙の家族も父親不在で、正常に機能していなかった。めったに帰宅しなかった父が、ごくごくたまにひょっこりと帰ってくることがあり、そんな時は大抵なにか貰い物を提げてきた。大きな魚が土産だった時は、微妙な手つきで刺身にして家族にふるまった。

当時は、気が向いた時しか帰ってこない父親に反発して、せっかくの土産もあまり有難がらなかった。ちょっとかわいそうだったかな、と反省したのはごく最近。家族旅行をしたり、冠婚葬祭に揃って出席したりと、分解した家族が少しずつ歩み寄りつつある。うちも、まさに成熟する一歩手前なのだと思う。