天国で君に逢えたら、

izumi_yu_ki2005-03-14

大事な人があわただしく帰省した。実質上たったひとりの叔母上が危篤だということで、とるものもとりあえずと、実家で用意されたチケットをもち、はげしく動揺しながら改札の中に消えていった。気の利いたことも言えず、励ますこともできず。

去年わたしは、叔父や叔母や妹の婚家の父上、また友人を相次いで亡くした。葬儀にでるたび、自分が生まれるに至る血のつながり、どうにもならない縁、そして死について考えずにはいられなかった。ひとりで死にたくないと、ただでさえ寂しがりやだったのが余計ひどくなった。

そして明けて今年。週末にテレビで、30代にして悪性癌におかされ、亡くなったウインドサーファーとその家族のドキュメントを見た。もらい泣きなどしたのだが、そのあとやけに納得したことがあった。

どんなに出会いに恵まれ、どんなに裕福で、どんなにいい家族がいても、死までの道のりは必ず一人でむかえるものだと。愛する夫をうしなった奥さん。けなげな奥さん。彼女が子供をそだてあげたあと、ひとりで迎える死が、ドキュメントをみるうち浮かんできて、その心象風景は、たぶん私が死ぬときとそれほど変わらないものだろうな、と思う。

伴侶はいない。子供もいない。母は私より先に死ぬだろう。孤独だ。でもそんな私の孤独と、他の人の孤独との違いは、今まで思っていたよりも小さいのではないだろうか。死ぬときは平等、という言葉が少しわかってきたような気がする。それと同時に、わずかだが孤独への恐怖心がうすれたような気がする。

本筋と脈絡なく、月曜日の昼ごはんは500円チャイニーズレストランの黒ごまタンタン麺。れいによってメンは少し残す。にんにくが気になってそのあとカフェラテをドトールでテイクアウト。