クレゾールの魔法が解けぬまに

izumi_yu_ki2005-11-03

祝日だというのにめでたいムードはほとんどなく静かな狂気を必死に分析しようとするマスコミのムードは言葉を重ねるほどに滑稽なほどすべっていき。

サントリーブルワリーのまずにいられない。ごめんなさい、コンビニ限定のビールです。のんでごめんなさい。

午前中は女子高校生母親殺人未遂事件の中身を知ることに費やしてしまった。その彼女は、ひとりで実験することを好み、神経をすばやくくっつける新薬を開発するのが夢、と記していたと知り、共通点に軽く震える。拙も小さな頃、薬こそ使わなかったが実験好きではあったからだ。

庭の花を摘み色素をしぼり、変色を楽しむ。顕微鏡のある家にプレパラートを持っていき、覗かせてもらう。台所のジャガイモをすりおろしてデンプンを作り、ゾルゲルの感触を楽しむ。そういう妙な遊びが好きだった。その頃みた夢で、同居していた祖母の腕を大根のように切り落とし、「大丈夫、大丈夫」と言いながら、ノリで腕をくっつけようとする、なんてこともあった。なかなかつかず、あせり、心配そうな祖母の「まだつかない?」に汗をかき、絶望を感じた瞬間、目が覚めた。庭先のアリをつかまえて縁側の鉄板で焼き殺すという、残酷な遊びにはまった時期もあったが、一晩中視界いっぱいにアリが苦しむ姿が出っぱなしの夢をみつづけた翌日から、蚊を殺すこともできなくなり、やがて実験もやめてしまった。

幸いにして拙は、その後ひどい屈折もなく、平均的な躾を受けて普通の成人になった(異論を唱える人もいるか。。)が、もし今、拙がそんな子供だったとしたら、どんな風に育っただろう?

コンペイトウは、丸い釜の中で種を回しながら砂糖の液をまぶしつけ、ツノを成長させながら大きくしていく。子供の好奇心を「種」、情報の伝達を「釜の回転」、情報や資本を「砂糖液」にたとえれば、現在の日本のように情報の伝達速度が早く量が多すぎると、釜はすごい勢いで回転し、大量の糖液を巻き込み、あっという間に種はいびつな方向に大きなツノを成長させてしまう。昔は「親はなくても子は育つ」なんていわれていたようだが、今は昔以上に、親子の関係が重要になってくるような気がする。肝心の親たちがどれほどの危機感を持っているかはわからないが。

これからしばらく、理科好きの子供が偏見でいじめられないことを祈る。でもまあ人間は、とくに日本人は忘れっぽい生き物のようだから、大きな芸能ゴシップなどあれば、おおかたはすぐに忘れてしまうのだろうが。

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マッサージのため足を覆っている包帯をはずし、鼻先にもっていくと、かすかに病院の匂いがした。クレゾールだろうか、シップ薬だろうか。何度洗っても抜けないケミカルな匂いに、かつて頻繁に病院通いをしていた時期を思い出す。そういえば理科が好きになったのは、保健室の匂いと、「白衣の先生」に懐かしさとあこがれを感じたからだった。

壁につかまりながら、杖なしでよちよち台所に向かい、インスタントラーメンを土鍋で作って、そのまま食べる。卵と、湯がいて冷凍しておいたキャベツをたっぷり入れて。バランスはいいが、その見た目と、食べてるシチュエーションがさびしすぎるな。でもうまい。サッポロ一番しょうゆ味。